生卵だけをぶっかけた卵かけご飯を食べた。
炊きたての白いごはんに、ちょっとだけ醤油をたらして…。
わざわざ言うのも野暮だがとてもうまい。最高である。
2/11から劇場公開されてる『すばらしき世界』という映画を観た。
役所広司扮する殺人犯・三上正夫が刑務所からシャバの世界に戻り、更生を目指していくストーリーだ。
13年振りのシャバの世界ということで、出所してから何を食べるのかと期待してスクリーンを見つめていた。
個人的にものを食べるシーンがある映画は好きなのだ。
なにかを食べたり飲んだりするだけで、そこには人間の生活感があり、物語に深みと説得力が増すからだ。
ラーメン、カツ丼、焼肉にビール…さぞおいしそうに、そして豪快に食べるのではないかと想像していたが、三上正夫が口にしたものは卵かけご飯だった。
白いご飯に生卵をパカッと割って、醤油をたらりふた回し。
お箸でチャッチャとかき混ぜながら、気味と白身が混ざりきらないうちにいそいそとかきこんでいく。
食べた場所は生活保護をもらって引っ越してきたばかりの木造風呂なしアパート。
テレビやラジオをつけることなく、畳の上に正座して、静かにウンウンと頷きながら三上正夫は卵かけご飯をかきこんでいく。
これだけで三上正夫の人柄をうまく現しているようないいシーンだったと思う。
そして僕もこのシーンを観て無性に卵かけご飯が食べたくなってしまった。
卵かけご飯は僕の原点のようなものだ。
卵かけご飯を口にするたび、貧しさとひもじさに耐えたひとり暮らしを思い出す。
仕送りとアルバイトで生計を立てた学生時代、初任給10万円で修業みたいな生活を送っていた新卒時代、先の見えないフリーター時代、ワープアの会社員時代…エトセトラ。
飲食店のまかないが食べられない時は、一食一合のどんぶり飯に生卵ひとつを落としてひたすらかきこんでいたのだ。
それと納豆とキムチ。
この三点セットはいまだに僕にとって愛おしい存在である。
今はすっかり生活も安定もしたし、共働きなので多少の余裕と蓄えもある。
卵かけご飯を食べる必要もなくなった。
でも、僕の精神はオールウェイズ貧困時代のそれなのである。
卵かけご飯をひたすらに食べた時代を過ごしてきたからこそ、僕は今やっていけてるのだ。
もうあの頃に戻りたくないから、僕は根性入れて働いているのである。
卵かけご飯を食べると、そんなことを思い出す。
まぁ自炊覚えとけよ…て話なんですけどね。
なんであの頃はあんなにも料理をしなかったのだろうか…。
ちなみに僕の中で「めちゃんこおいしそうに食べてはりますやん映画グランプリ」のぶっちぎり一位は『アデル、ブルーは熱い色』のアデルが冒頭で食べる「ケバブ」です。
ボーイフレンドに「クレープでも食べよう」て誘われて「ケバブがいいな」て返すアデルが素敵で、喋りながらもりもり食べる姿は役そのものに生命が溢れているようで感動した。
家族でテレビを観ながら食べるボロネーゼもめちゃくちゃうまそうだし、フランス映画は生活の中に「美しさ」を見いだすのがうまいな〜と思う。
「おいしい」ものを「おいしく食べる」にはコツがいる。
それは味とか金額の問題ではなく、そのひとの心の姿勢だ。
卵かけご飯は猫背で、素早く、なるべく間をおかずに食べるのがとてもおいしい。